イノセント 02 司つく
大きな満月に司の顔が青白く光っている。
一瞬、そう一瞬‥‥つくしは、彫刻のように整った司の顔に手を伸ばしそうになって、慌てて手を止める。
自分の行動を戒めるように踵をかえしてシャワーを浴びる。
温かいお湯が全身を心地よく流れ落ちていく。
鏡に映るつくしの身体には、無数の花弁が舞っている。全身に咲いた花弁を消すようにゴシゴシと身体を洗う
幾ら洗ったところで消えはしないのに‥‥それでも、ゴシゴシと皮膚が赤くなるまで擦り続ける。
洗い流してしまえば、まるで全てが消えるというほどに。ゴシゴシと擦り続ける。
「__どうして‥‥どうして__今更‥‥」
シャワーの音が、つくしの悲痛な声をかき消す。
17の年__激しい恋をした。漸く光明がさし始めた時だった‥‥運命は、非情にもつくしの恋を奪っていった。
記憶障害それも系統的健忘‥‥司は、つくしのことだけを綺麗さっぱり忘れ去ったのだ。
幸福の絶頂から、不幸のどん底につくしは堕ちた。
それでも__もう一度、いつか自分を思い出す筈、思い出さなくとも自分を愛する筈だと思っていたのだろう。
1ヶ月、2ヶ月、半年経ってもつくしの事は、何一つ思い出さないばかりか、激しくつくしを拒否して挙げ句の果てにはNYに渡ってしまった時‥‥‥
全てが幻想で、まやかしに過ぎなかったと悟り、つくしの身体の中には、虚無感が生まれた。
一生に一度の恋だと思った。
なのに__いや、だからこそ彼女は、傷つき昏い昏い影を纏った。
眩いばかりの光は
影を引き立たせ
昏い影は
光を引き立たせる
彼女自身が望もうと望むまいと彼女を愛するものは、光に影に惹かれ翻弄させられる。
バスローブを身に纏い髪を乾かす。黒髪が熱風に吹かれている。
司と再会を果たしたあの夏の日の一日のように。
* ****
うだる様な暑い一日だった。じっとりと掻いた汗で、髪の毛が顔に貼り付く。
「ふぅっーー熱い」
思わず声を出していた。
何が可笑しかったのか?
自分の出した声にクスクスと笑った後、待ち合わせの場所に急いだ。
もう恋などする事などないと思っていた彼女だったが恋をした。
激しい恋ではないけれど、高校時代のつくしの事を知らない彼と穏やかな関係を築いている。
カランコロンッ
ドアを開け、周りを見回せば本を片手に微笑む男が手を振っている。
つくしは、急ぎ足で男の席に向かった。
「雅哉さん、ゴメンね。待った?」
「いや、ちょっと早く来ちゃったんで、コレ読んでたよ」
「あっ、雅哉さんも買ったんだ」
「雅哉さんもって、もしかしてつくしちゃんも?」
「勿論。待ちきれなくて来る途中買ってきちゃった」
鞄からガサコソと雅哉と同じ本を取り出して目の前に翳した。
照れ笑いを浮かべながら、雅哉と2人で微笑み合った。
「つくしちゃんと結婚したら、同じ本がいっぱいだね」
その言葉に態と気が付かない振りをしているのか、メニューをみながら
「うーーーん。レモンスカッシュにするか、はたまたハイビスカスティーにするか。うーーん迷っちゃうな」
そんなひとり言を呟やいた後に、ウェイトレスを呼んで注文をした。
雅哉と付き合い出して、もうじき一年の月日が経つ。
4つ年上の雅哉からは、最近になってちらりほらりと将来の話が出るようになってきていた。
つくしとて、いわゆる妙齢の女性だ。結婚に憧れもあるし、この先結婚する事があるのならば、相手は、きっと雅哉だろうと思っているので決して嫌なわけではない。
でも__彼女は、そっと話を逸らすのだ。
雅哉は、捉えたと思ってもどこか掴みきれないつくしの事をほんの少しだけ寂しく思いながらも、柔らかく笑みを携えて話を続ける。
「そう言えば、ヨシさんが言ってたんだけどね‥‥‥」
恋人同士の何気ない会話が2人の時間を包み込んでいく。
激しくはないけれど___
穏やかな光がここに溢れていた。
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