イノセント 03 司つく
店を出たばかりだと言うのに、汗で身体がべとつきだしている。
「蒸すね」
「一雨来るのかな?」
「あぁ、凄く蒸してるもんね」
そんな会話を交わしながら雅哉が予約した店にタクシーで向かう。
着いた先は、都内でも屈指の高級料亭だった。
食い道楽の雅哉は、時折とても高級な店につくしを連れて来るのだ。
「ここはね、東京なのに美味しい鱧を食べさせてくれるんだよ」
「へぇーそうなんだ」
「うん。去年は忙しくて一緒に来れなかったからさ、今年は是非一緒に来たいって思ってたんだ」
出されたおしぼりで手を拭きながら、雅哉が話す。2人の座る席から、中庭の池がライトアップされていて中々の風情を醸し出している。
「離れがあるんだね」
「あぁ、離れは社用で使う人も多いみたいだよ」
一杯、二杯と盃を重ねる。大学、新入社員時代と随分と鍛えられたつくしは、昔と違い少々のお酒では酔わなくなっていた。
年月は、好むと好まざるとに関わらず、川の流れと同じで少しずつ色々な事を変えていくのだ。
食事も済みデザートの氷菓を口にした時、後ろから
「雅哉さんじゃあらへまへんかぁー?」
恰幅の良い男性が、雅哉に声をかけてきた。
「これは、北原専務じゃないですか。いつ東京に?あっ、牧野さん、こちらAKARIの北原専務だよ」
北原と呼ばれた男につくしは、慌てて名刺を出して挨拶を交わした。
「ほぉー、立川設計さんにお勤めであらはるんですね。牧野つくしさん__かぁ‥‥‥ほぉっ、どうぞ先生に宜しゅうお伝え下さい」
「こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します」
世間話を幾つか重ねたあと
「では、雅哉さん、牧野さん、また」
そう言いながら男は去っていく。
「立川先生とは確か__高校迄同じだった筈だよ」
「そう言えば先生、もともとが関西の人なんだもんね」
「うん。つくしちゃんは、高校も神奈川だったんだっけ?」
「__あっ、うん‥‥」
司が記憶を失い、NYに旅立つ頃__つくしも英徳を辞め、両親に伴い神奈川に引っ越しをしていた。
高額な授業料を払わなくなって良くなった事と、両親が定職に就く事が出来たので、なんとかこうとか人並みに生活を送れるようになった。そのお陰で、バイト生活は相変わらずだったが、国立大に進学する事も出来たのだ。
新しい土地、新しい学校で、新しい交友関係を築いた‥‥‥
英徳での思い出は、全て捨てた。
司との思い出は勿論、F3、桜子、滋との思い出も全てを捨てた
まるで‥‥全て最初から存在していないかのように。
高校時代の話が雅哉から出て__
昔の事が頭を過ったのだろうか?つくしの顔が一瞬曇る。
全てを追い払うかのように、プルッと首を一度振りした。
「つくしちゃん、どうした?」
「ううん。ちょっと冷えたみたい__あっ、そう言えば今日、ユッコがね‥‥」
つくしは、話を逸らすかのように共通の友人の話題を出していた。
「へぇーーユッコちゃんって相変わらだね」
「ねっ」
微笑みながら、お茶を啜る。
「どっかで少し飲み直そうか?」
「あっ、うん」
「じゃぁ、タクシー呼んで貰おうか」
外に出た途端__ムワッとする暑さが襲って来た。
待たせていたタクシーに乗り込もとした瞬間__誰かの視線を感じて、つくしが後ろを振り向いた‥
先程挨拶を交わした北原が会釈をしているのが見えた。雅哉とつくしは会釈を返してタクシーに乗り込んだ。
__北原の後ろの人影がチラリと動いた気がして、つくしは小首を傾げた。
じっとりと暑さが纏わりつく夜だった……
運命の歯車は
少しずつ動き出していた。
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