baroque 33
愛おしいのに
ambivalence
憎い
ambivalence
相反する思い
右の項に舞う花びらは、薫が決まってつくしに付ける所有の印だ。
薫のつけた印に対をなして挑むように舞う花びらが、髪を乾かす薫の目に飛び込んで来た。
正面切って責め立てるのは得策ではない。見て見ぬ振りをしようと瞬時に決めた。素知らぬ振りをして引き離せばいいと考えたのだ。燃え盛る様な嫉妬の炎を消し平静な自分を演じた。つくしの愛する優しい〝宝珠薫〟を。
なのに、激しく嫉妬した心の燻りを消せなかった。己の疾しさを隠し、責め立てるつくしの身勝手さが許せなかった。初めてつくしを〝憎い〟と感じた。つくしの喉元に指を這わせた瞬間……自分の中に渦巻くどす黒い感情を知った。
初めて愛憎と言う言葉の意味を知る。愛しているから憎いという思いの意味を。
薫にとって、両親を亡くしたあの日からこの世の中に欲しいと望むものなど何一つ無かった。唯一、彼が欲したものが〝つくし〟だった。お伽話しの結末の様に、永遠に愛し愛され続くものだと思っていた。いや、続けていく筈だった。
なのに……目の前の女は、背徳の行為に身を染め、薫が与えた愛を裏切り自由にしろと刃を向けるのだ。
憎い、憎い憎い憎い憎い…
愛しい
憎い、憎い、
でも、心の底から愛しさがこみ上げる。
薫の感情が憎しみと愛おしさで千々に入り乱れる。
解っているのは、誰にもつくしを渡したくない。いや、渡せない。ただそれだけだ。
パタンッ
ドアが閉まる音を聞いた瞬間___つくしは、初めて取り返しのつかない事をしてしまったと戦いた。右と左……両方の項にゆっくりと手を這わせた。薫の完璧までに整った笑顔と、すこし淋し気に笑った総二郎の顔を思い出しながら指先で項を触る。
つくしは、スマホを手にとりタップした。電話の向こうの相手と話し終えたつくしは、バスローブを脱ぎ捨てる。
鏡の中に自分を映す。パウダーを叩き、マスカラを丁寧につけ仕上げにベビーピンクの口紅をさした。
クローゼットの扉を開け、まるで最初から決めていたような迷うことのない動作で桜色のプリーツワンピースを取り出して身に纏った。仕上げにバロックパールのピアスを付けた。時計を見上げつくしは部屋を出る。
階段を一段一段降りる度に、ワンピースの裾がヒラヒラと踊る様に揺れる。つくしは、奥のダイニングには向わずそのまま玄関ホールに向った。
「つくし様、如何されましたでしょうか?」
従者が声をかけてくる。つくしは振り向きもせず
「扉を開けて頂戴」
「つくし様、薫様はダイニングの方でお待ちでいらっしゃいますが……」
「扉を開けて」
「あっ、はい。ですが__薫様に聞いてからではございませんんと」
「私が決めた事よ」
「つくし様」
従者の懇願する声が邸の中に響き渡る。
メイドが呼びに行ったのか、薫がやって来てつくしに声を掛ける。
「つくし、何をしているんだい?」
振り向いたつくしの耳元に歪なバロックパールが揺れてるのを薫が見たのと、ドアのチャイムが鳴り響いたのは同時だった。
つくしは、薫に刃を放つ。
「一足先に筒井に戻ります。お誕生日会には、是非いらっしゃって下さいね」
「つくし……」
開け放たれたドアからつくしが婉然と舞う様に車に乗り込むのを、薫は惚けたように見送った。
つくしを乗せた車が夜のしじまの中に隠れて見えなくなった頃
「クククッ__ハハッ、アハハッ…アハハッ」
薫の喉から笑い声が漏れる。
狂った様な__いいや、可笑しくて可笑しくて堪らないと言う様な笑い声が漏れる。


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