baroque 34
決して一つの思いではなく
sentiment
色々な思いから
pensée
人は出来ている
薫は一頻り笑ったあと、自室に戻り筒井の邸に連絡を入れた。
2度目のコール音のあと電話が取られた。
『黒崎、雪乃お婆様はいらっしゃる?』
『はぁ、それが只今お出かけでございまして__』
薫の指先がカッツーン、カツンと机を叩く。
『そう、じゃぁつくしは筒井の邸に只今戻りましたって。言伝を宜しく頼むよ』
『畏まりました』
『あっ、それと……もう一つ。お多芽返しは何がよろしゅうおますか?そう伝えてもらえるかな。じゃぁ宜しくお願いするね』
『薫様__』
受話器を置いた薫が背もたれに凭れながら椅子をクルリと回し外を見る。庭に飾り付けられたイルミネーションがキラキラと光っているのが目に入って来る。煌びやかな光をみながら 何故? 何故? そんな思いが薫の心を駆け巡る。
黒崎が受話器を置いたの待ち受けていたように、雪乃が微笑みを浮かべ話し始める。
「うふふっ、薫もお多芽返しなんて面白い事を言うのね」
「あっ…はい……ですが、雪乃様…ご主人様には何とお伝えしましょうか」
「あらっ、態々伝えなくても直ぐに連絡が行くわよ」
「ですが__」
「黒崎は、誰についてるの?主人ではない筈よ?」
「はい。雪乃様__差し出がましい事を申しまして大変申し訳ございません」
「よくってよ。それより、つくしちゃんのお披露目の大振り袖__由那ちゃんが20才のお誕生日会に着たものにして頂戴な」
「由那様のでございますか?」
「えぇ、そうよ。あの日の由那ちゃん綺麗だったわよねぇ。黒崎も覚えてるでしょ。もう少し先になるかと思っていたけれど、うふふっ これも、薫のお陰かしらね。そうそう、筒井のネックレスも出しておいて頂戴ね。それと、あぁ、色々変更があるわよね。あと2日ですもの。忙しくなるわよ」
弾むような声で、いや、少し狂気を孕んだ声で次から次へと雪乃が楽し気に話しているのを黒崎は黙って聞いている。黒崎が雪乃に仕えて30年近くの年月が経つ。筒井にとって悲喜交々の30年だった。由那がこの世から去るまで幸せを絵に描いた様な一家だった。由那がこの世を去った瞬間、筒井から雪乃から大きな光が消えた。残された唯一の光は、由那の残した薫だった。
由那を失った日、本来なら狂う程に泣き叫べれば良かったのだ。嘆き悲しみ苦しんだあとに大切な存在があることに気が付ければ良かったのだ。
不運な事に薫の状況がそれを許さなかった。両親を失った薫は、身体の傷が癒えても心の傷が癒えずに食事を取れなくなっていたのだ。死に物狂いで亜矢と2人で薫の面倒を見た。由那の死を悲しんでいる暇などないほどに日々を過ごした。漸く命の心配が無くなった頃には、由那の死を悼む事が出来なくなっていた。
由那の死を悼む事は、やっとこの世に繋いだ薫の命を否定するようで__雪乃には出来なかったのだ。
雪乃は、薫を愛している。
でも、同時に由那の命を奪う原因を作った薫を心のどこかで憎んでいる。
ここにも一つの愛憎があった。
愛おしい、愛おしい
でも……憎い
RRR
雪乃の部屋の電話が鳴り響く。
「あら、早速ね」
微笑みを浮かべながら雪乃が受話器をとった。


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