baroque 35
一目見た瞬間
ténacité
あなたが欲しいと
ténacité
渇望する
雪乃は微笑みを称えながら受話器の向こうの相手と話している。
『……えぇ、ですから一先ずそうしておけば宜しいのじゃありませんこと?
……………えぇ、勿論ですわ。
あと数時間もすれば戻って参りますから……詳しい事はそれからと思ってますわ』
受話器を戻したあと、雪乃は黒崎に紅茶を頼む。
黒崎がポットの中に茶葉を落とす。高い位置からポットにお湯が注がられる。少し立つと下に沈んでいた茶葉が浮き始める。全ての茶葉が浮き上がった所で下へと沈んで行く。終息するかのように見えた動きが突如変化を遂げ、茶葉がクルクルと動き出す。
薄いカップに最後の一滴が注がれた後、雪乃の前に柔らかな湯気が立つ紅茶が供される。
「あぁ、美味しいわね。紅茶を美味しく頂くには、きちんとしたジャンピングが必要よね」
ゆっくりと口角を上げそれはそれは美しい微笑みを浮かべた。
「黒崎、私は非情な祖母かしらね?実の孫の薫より血が繋がらないつくしちゃんのが可愛いなんて」
「雪乃様……」
「……つくしちゃんを見た時、由那ちゃんが私の元に帰ってきたかと思ったのよ。姿形はちっとも似てなんていないのにね……でも、あの子をみた瞬間、あぁ由那ちゃんと同じ魂だって思ったのよ。……どうしても手に入れたいと思ったわ。つくしちゃんの人生を歪めてしまうかもしれないと解っていても、近くで見守っていたいと思ってしまったの。栄だって一緒だった筈よね。だから足繁く萩に通っていたのよね?」
雪乃が初めてつくしと出会ったのは、つくしが9つの年だった。
綺麗にどこか人形めいた笑みしか浮かべなかった薫が栄の「夏休みは、また萩に行くか?」の言葉に嬉しそうに笑ったのを見た瞬間……雪乃は、二人と一緒に萩に行く事に決めた。
着いた先で雪乃はつくしに出会った。
一目見た瞬間、この子が欲しいと渇望した。
雪乃は己の欲求に忠実に行動した。
時間が出来れば静養と称し萩に行く。雪乃はつくしを観察してつくしの心の中にあった薫への小さな恋心を利用したのだ。京都に遊びに来たつくしに昔のアルバムを見せながら
「私も亜矢ちゃんも私の娘も白泉女学園に通っていたのよ。だから、薫のお嫁さんもね白泉出身の子だったらいいなぁと思っているのよ」
何気なさを装って口にした。
幼いつくしは、何も考えずに雪乃の言葉に夢をみた。
白泉女学園に通ってゆくゆくは薫のお嫁さんになることを。
雪乃は事あるごとに白泉の素晴らしさを話して聞かせた。つくしの夢は膨らんでいく。白泉の制服を着て薫の隣で並んで歩く自分の姿を。
「あたしも白泉に通いたいな」
つくしがポツリと洩らした言葉に雪乃はほくそ笑んだ。
無事合格を果たしたつくしを【筒井つくし】として学園に通わせたのは、雪乃の一存だ。
栄は最後まで
「そこまでしたらこれからのつくしちゃんの人生を縛る事になるよ」そう反対をしていた。
その言葉に雪乃は
「縛って何がいけないのですか?つくしちゃんは薫の事を好きだし、薫だって本人はまだ気が付いてないけれどつくしちゃんが好きでしょ?だったら【牧野つくし】として学園に通わせるよりも【筒井つくし】として通わせた方があの子達二人の未来にとって宜しいのではありません事?……それに、嫁がせる前には一度私どもの籍に入ってからになりますでしょ?だったら女学園の内から筒井姓で生きて行く事は宜しいんじゃありませんこと」
ニッコリと微笑み反論したのだ。栄は、これ以上はつくしの人生を縛れない縛ってはいけないと何度も反対した。その度に同じ言葉を返えされ栄が根負けをした。
雪乃は、普段滅多に自我を通す事はしない。その代わりこれぞという時は絶対に譲らないのだ。
どうしても欲しいものは手にする。それが雪乃だった。


ありがとうございます♪
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