紅蓮 89 つかつく
日々大きくなるお腹を摩りながら幸せに酔い痴れる。
不確かな自分の中に芽生えた確かなものの存在。それだけでなんて幸せなのだろう。このお腹の中の子は、何も考えなくてもいいと私を楽にしてくれるのだ。
日本に来て体外授精を設楽から持ち掛けられた時___記憶の失った私が親になるなんて出来ないと断った。
「だからこそ、確かなものを二人で築き上げていこう」
そう言われて、どうせ籠の鳥ならば
でも__決めて良かった。今なら素直にそう思う。
失った記憶。馴染めない名前。愛したことさえ思い出せない夫の事。なのに、誰かを愛し、愛された記憶だけが私の身体中を時折駆け巡る__こと。
この窮屈な暮らし、それさえからも___この子の存在は、私を楽にしてくれる。私の中の海が凪いでいる。
「つくしさんも懐妊だそうだよ」
設楽がそう私に告げたのはいつの事だったろう?
私と良く似た操り人形のつくしさん__彼女も私と同じ様に満ち足りているのかしら?
つくしさんを思い浮かべる度に頭の中に何故か、あのパーティーの日に会った宗谷凌のことを思い出す。
何も思い出せない私が、何故か感じる懐かしい感情。もう少しゆっくりと考えたいと思うのに、それ以上考えようとするとチリチリと頭が痛み出す。
良くないサインだ。私は考える事を止め子守り唄を口ずさむ。
♪おろろん おろろん おろろん
おろろん おろろんよ〜♪
おろろん おろろん おろろん
おろろん おろろん おろろんよ〜♪
どこで憶えた子守唄なのだろう__記憶のない私には、解らないけれど__何故か懐かしくて、優しい気持ちになっていく。
「玲久、どうした?何を泣いてるの?」
いつの間に部屋に入って来たのか、設楽が私の顔を覗き込みながら、心配そうに肩を抱き寄せ涙を掬う。
私は、この時初めて自分が涙を零していたことに気が付いた。
「玲久、玲久、玲久__もう、俺を置いてどこにも行かないでくれ」
哀願するように設楽が私を抱き締める。なのに、この人が見ているのは、どこか遠く。
その度に、この人に愛された記憶も、愛した記憶もないと__心が言っている。
なのに
「愛してる、愛してる、愛してる__玲久だけを愛してる」
そう言いながら、設楽は強く私を抱き締める。
私は黙ってそれを受け止める。
この人が愛してるのは、私じゃない。
私が愛してるのも、この人じゃない。
だけど__行く宛のない私はここに居た。
今は、お腹の中の確かな存在を守っていくために私はここにいることを決めた。
「あっ、」
「どうした?」
「赤ちゃんが、赤ちゃんが、今__動いたの」
設楽が私のお腹に優しく手を触れる。設楽の瞳が弧を描く。
柔らかく、柔らかく弧を描く。
設楽が優しくお腹を撫でながら
「玲久__玲久__君は、やっともう一度、……来るんだね」
妖しく笑った。
私は、元気よくお腹を蹴る我が子に気を取られ、彼の発する言葉の意味が解らなかった。
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