春風 前編 類つく
風が吹く。
まっさらな風が吹く。
「うーーーーん」
背伸びを一つして立ち上がった。
パンッパンッ
両手でお尻についた草を払ったあと、後方確認、左右確認をした後___息を目一杯吸い込んで
「_______」
大声で叫んだあと、パシンッと頬を一つ叩いてから、乙女椿の木の横に止めた自転車に跨がった。
香らない筈の乙女椿の香りがふわりと立ち上り鼻腔を刺激した気がした。
いつもの様に、風が、音が、景色が、つくしの横を通り過ぎていく。
鼻唄を歌う。大きな大きな鼻唄を歌う。
「あーん、あーん♪ み♪なの♪た♬♪ ふぅふぅふん」
港町につけば、心地よい喧噪が耳に入って来る。お弁当屋さんのスミさんが、角の時計屋の河田のおじちゃんが、魚屋の虎さんが、肉屋のマツコさんが
「牧野先生おはようございます」
声を掛けて来る。
「おはようございます」
元気いっぱいに笑いながら挨拶を返して__自転車を軽やかに走らせる。
つくしが、この町にやってきて一年半が過ぎようとしている。
心を癒す場所がある。
沢山の知り合いが出来た。
笑顔を浮かべたまま、自転車置き場に自転車を置き白い建物の中に入って行く。
服を脱ぎロッカーから取り出した白衣を羽織る。ネームバッチを胸につけ、手櫛で髪を整えながら鏡を見る。
「そろそろ___切らなくっちゃねっ」
この町にやって来た時は、耳元が隠れるくらいの長さだった髪の毛もすっかり伸びて背中の真ん中ほどの長さになっている。
切らなくっちゃ__何度口を吐いた言葉だろう。
美容院の前まで行って、踵を返して帰って来たのも一度や二度じゃない。
バタンッ
ロッカーの扉を勢い良く締めれば、勢い良く跳ね帰ってきて苦笑いを一つした。
「廊下までパタンパタン凄い音が響いてたぁ〜」
柔らかく笑いながら、看護婦長の五島さんが入って来た。
「アハハッ__お恥ずかしい」
「つくし先生が、来とるって、ようわかってええけどね」
軽口を叩きながらナースキャップをつけている。
「五島さんのお墨付き?」
つくしが戯けて返せば、
「お墨付きは、いかんなぁ。それよか、先生、また丘の上に行ったかいね?」
「あっ、はい」
「けっこい空で、ついつい寝転がったかいな?」
「確かに、綺麗な空だったけど__ えっ?なんで寝転がったってわかるの?婦長、いつからエスパー?」
つくしの髪についた枯れ草を手に取りながら
「先生、これ」
五島婦長は、少し呆れながらもニコヤカに笑って
「もう少し、女らしくなって下さらないとね」
そう言いながらナースキャップを被っている。つくしは、五島婦長を見ながら苦笑いを一つした。
いつもと変わらぬ一日の筈だった。
「じゃぁ、三島さん、じゃぁ次は、またお薬切れた頃にね」
最後の患者を見送った所で
「つくし先生、じゃぁ、すみません__今日は先上がらせてもらいますね」
五島婦長に声を掛けられ
「あっ、どうぞ、どうぞ。あっ、」
デスクからリボンのついた箱を取り出して
「これ、敦君に」
「よかですか__ありがとうございます」
つくしは、胸の前で手を振りながら
「じゃぁ、また明後日ね」
婦長の後ろ姿を見つめる。
「ふぅっーーー」
大きな息を吐きながら、本入り口の鍵を締めようとした瞬間……
ガチャリッ ドアが開く。
唖然として声も出ないつくしを余所に、
「急患です」
そう言いながら、スタスタと中に入って来る。
ゴクンッ
つくしが唾を呑み込みながら目を丸くする。
「な、な、なんで?」
「うんっ?うどん食べに来たら__ホラッ」
クィックィッと手をつくしに押し付けてくる。
「火傷しちゃったんだよね」
「ど、ど、どこが?火傷?」
ほんの少し赤くなった手の甲を指差しながら
「ホラッ、ここ、ここ、ここ」
「これだけ?」
つくしが聞けば、コクンと頷いている。
今更逃げるわけにもいかなくて、無言のまま軟膏を付け包帯を巻く。
「お大事になさって下さい」
「久しぶりに会ったのにそれだけ?」
「他に__何かお有りですか?」
つくしが、眉根を寄せながら質問すれば
「うん。そっちは重症__かな。俺さぁ、ココが痛くて、痛くて___寝れないんだ」
薄茶色の瞳が真っ直ぐにつくしを見つめる。
「ココ、かなり重症でさぁ、牧野先生しか治せない__んだよね」
つくしは、無言で背を向ける。
「だからさぁ、見て貰おうかと思って__来ちゃった」
「___」
背を向けたまま押し黙るつくしに、類は言葉を繋げる
「急に消えたのは何で?」
「___」
「髪、随分伸びたよね」
類の指先がつくしの髪に触れる。
乙女椿のロキさまに サイトオープン記念にお渡ししたお話になります。
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