娘のひとり言
私の事を世の中で心の底から愛してる男性が3人いるのですが___
実は、その筆頭である父が5月に亡くなりました。
パーキンソン病で四肢の自由が利かなくなり特養のホームに入って丸一年。
泣き言一つ愚痴一つ言わない自慢の父のまま旅立ちました。
親孝行なんにも出来ていないのですが___
不思議な事に後悔がないのです。
何故だろう?と考えた時に
あぁ、沢山沢山愛されたからなんだと合点がいきました。
実は、入院2日目に急遽容態が変わった父__
何度も入退院を繰り返していたので、特別どうこうもないと言う事で今回の入院は私達には言って来なかった母。
次の朝、一気に危篤状態になり母も焦って病院に。
母は私のスマホに連絡をくれていたようなのですが......充電中で自室に置いたまま。
出掛けなくっちゃでスマホを取って気が付きました。
慌てて駆け付けた病院。
私が着いたと同時に一度目の心臓が止まりました。
まるで待っていたかのように。
このまま全部止まっちゃうのかな?
と思いきや__
話しかけると呼吸や脈がちょこっと動いて心臓も動くんですよね。
繰り返す事30分。しっかりとお別れをさせて頂きました。
「楽になって良かった」
そう素直に思えるほどに穏やかな顔でした。
先生のセリフが芝居がかっていたり、息を引きとるまでの時間が予想外に長かったので看護婦さんがチラリチラリと時計を見たりを思い出し__不謹慎にも家族間でクスリと笑いが零れたほどです。
うちの父は、産みの母親が産後の肥立ちが悪く直ぐに亡くなったのですが、父の父も父が10才の時に亡くなっているのです。
親戚の家に預けられ良くして貰ったとはいえ、稼業の手伝いそして中学卒業と同時に働き出し結構な苦労もした筈なのですが___父の口からは、お世話になった伯母夫婦への感謝の言葉以外は聞いた事がないのです。
愚痴を言わない人でした。
家族を大切にする人でした。
色んな心配をかけている筈なのですが、父に手を挙げられたことはおろか叱られたこともほぼない状態で(一度だけ大目玉をくらいましたが)
陽の人間なのに、声を荒げるが野球観戦以外はない人でした(笑)
あっ、年とってから母に文句は言ってましたけどね。
母も母で言い返えしていましたが(笑)
兄と八つ年が離れてるのもあって4人でお出掛けは小さい時くらいなのですが、代わりに父と2人でもしくは、父と母と私と3人でよく出掛けました。
パンダが私のお布団に潜り込むように、私もよく父のお布団に潜り込んでました。
思春期___結婚するなら父のような人と思ったこともありませんが(笑)父をムカつくだとか、嫌いだと思ったことが一度もありません。
当時は幸せな父だと思っていましたが(笑)幸せな子供だったんだなとシミジミと思います。
私を大好きという父の思いはオットにバトンタッチされているようなので、父の心残りは唯一母の事。
「カズは寂しがりやだから___」
父の口癖でした。
二人で同時に入院した時、自分のお見舞いはいいから母の元に行ってあげてくれと。
母にありがとうも言わずに旅立った父ですが、
きっと、父が一番大事に思って愛していたのは母なんでしょうね。
お父さん今まで沢山の愛情をありがとう。
代わりにお母さんの事は任しとけ!
です。
まだ母の周りにいるであろう父に!!
asu
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