紅蓮 95 つかつく
「奥様はお幸せでございますね」
この言葉を言われる度にあたしは、どこか宙ぶらりんな気持ちになりながら俯き微笑む。
言葉を放ったものは、それを恥じらいとでもとるのだろうか?至極満足げに微笑みながら頷くのだ。
そう、あたしは〝幸せ〟なのだ。
夢物語のように小ちゃな頃の初恋が実った。若くして莫大な富と名声を持つ夫がこよなく愛する妻という立場。美しく利発に育っている娘。
誰もが羨む 〝幸せ〟 をあたしは持っているのだ。
なのに、寂寥感があたしを襲う___
「かぁしゃま、ちょうと」
永久の声に空を見上げれば、青いアゲハがヒラヒラと飛んでいる。
「綺麗ね」
答えた瞬間 ズキンッ 頭が痛む。
「かぁしゃま?」
コメカミを押さえるあたしに永久が聞く。永久のクルリと巻いた黒髪が風に揺れて___永久の美しい鼻梁が誰かを彷彿させ……て……
誰を?
何を?
解らない……解らない。
あたしの頭の中を、波が風が鳥が蝶が美しく妖艶に舞っている。手を伸ばし、その中の何かを掴み取ろうとすれば、頭が割れるほどに痛くて____
ガタンッ
崩れ落ちるように地面に座りこむ。
「かぁしゃま、かぁしゃま」
愛おしい娘の声が頭上で聞こえている。声に応えようと必死に微笑んで娘の顔を見る。
あぁ、こんな所にいたのね。
あたしは極上の幸せを感じてから、意識を手放した。
*****
「とぉしゃまーーかぁしゃま、かぁしゃま、バンって、バンって」
泣きじゃくる娘を抱き上げ
「大丈夫、大丈夫だよ。永久は何にも心配することないよ」
永久が大きな瞳に涙をいっぱい溜めながら、鼻を啜り上げコクンコクンッと頷く。
頷いた瞬間、永久の巻き毛がフワリと揺れる。
愛おしい。
だから、苦しくて
「佐久間、佐久間」
永久のガヴァネスを呼び母親が倒れて不安がる幼子を手渡した。
「とぉしゃま」
ヘの字に口を曲げ瞳に涙をいっぱい貯める娘を見ないようにして声をかける。
「永久はお昼寝の時間だよ。佐久間、永久を部屋に連れて行ってくれ。それと___髪をそろそろ」
「畏まりました」
日一日と俺ではない男へと似ていく娘の後ろ姿を追い目を閉じる。
あの男に似て来ぬように、永久の髪先には縮毛矯正の施術が施される。
まやかしの幸せは、所詮まやかしにしか過ぎぬのに___己の心にも蓋をして必死に取り繕い〝幸せ〟な自分を守る。
つくしを見舞えば、うわ言であの男の名を呼んでいる。
植え付けていた筈の虚偽記憶が徐々に薄れてきているのを感じ___一つの決断を下す。
設楽の手によって再びつくしに虚偽の記憶を植え付けてもらうために、避けていた日本に戻ることを
******
つくしの面影を思って邸の庭を見る。
青い蝶がヒラヒラと飛んでいるのが目に飛び込んで来る。窓を開け放ち手を差し伸べた。
ヒラヒラと飛ぶ蝶が指先に止まった。
「不思議だね」
驚いて振り向けば、類がニコリと笑って立っていた。
「そんなに驚かなくても___何度かノックしたんだけどね」
「あっ、いや」
指先の蝶がヒラヒラと舞いながら消えて行く。
「司に、くっついてくる蝶なんて勇気あるよね」
何が可笑しいのかクスクス笑ったあと
「牧野が、帰って来るよ。……娘を連れてね」
♥ありがとうございます。とっても嬉しいです♥
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