baroque 78
「よっ」
店に入れば、悠斗がいつもの笑みを浮かべながら薫を迎える。
思わず薫の口端にも笑みが浮かんだ。
「こっちには仕事で?」
ソファーに腰掛けながら薫が口にする。
「うーーん、まぁ、仕事というかなんと言うかちょっと野暮用があって、折角だからたまには薫と二人で酒でも飲もうかと思ってな」
「へぇ、そう。プライベートでカオちゃん連れて来ないなんて珍しいよね?」
「あっ、いや、あいつはまぁ、一緒に来たっていうかなんて言うかだな」
薫がゆっくりと悠斗を振り向き
「ふーん。そんなに歯切れ悪いってことは、カオちゃんは、つくしに会いに行ったってことか。ククッ、ホント悠斗って相変わらず仕事だといくらでも人を欺けるのに、プライベートだと皆目だよね」
「おっ、おっ、お前を欺く必要性がないからだろうよ」
「そう、それじゃあ、単刀直入に聞くね。悠斗は何しに今日来たの?」
「だからそれは、親友と酒を飲みに来た」
「悠斗、さっきから唇の端がピクピク動いてるよ?」
「えっ」
手のひらで口元を必死に隠しながら悠斗は薫の顔を見る。
「ハハッ 大方つくしとの事でも聞きにきたんだろ? つくしとのことは何にも変わってないから大丈夫だよ」
「何にも変わってない? ……じゃぁ、なんでお前、婚約発表を延期にしたんだよ?」
「あぁそれなら、もともと正式な婚約はつくしが大学を卒業してからって決めてたからだよ」
「なぁ、薫、なんで俺にまでそんなに強がるんだよ?」
「強がる?僕が?悠斗になんで?別に、強がってなんかいないよ。ありのままのことを言ってるだけさ」
「だったら___」
「だったら?だから何も変わらないんだよ。僕にはつくしだけだし、つくしには僕だけさ」
「…………だったらなぜ、にしか…」
悠斗の言葉に被せるように
「その名前は言うな」
語気を強める薫。
二人の間に沈黙の時間が訪れる。
沈黙を破ったのは薫の声。
「……悠斗からみたら、僕はさぞ滑稽に見えるんだろうね……」
苦しげに唇を歪ませたあと
「でもね、滑稽でも構わないと思ってるんだ……僕の心は、つくしにしか動かないんだから」
そう言いきって、美しい微笑みを浮かべた。
恋は人を最上級に幸せにするのに、惨めにもする。
カラン
グラスの氷が音を立てた。
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