金魚とトマトと初恋と スピンオフ
「金魚とトマトと初恋と」~スピンオフ~
季節は秋を過ぎ、冷たい風が身を切る。
通りの街路樹が寒々しく揺れるのを見ながら、あたしは今日もバイト先へと急ぐ。
「お疲れさまで~す!う~…寒い~!」
暖房の効いた店内を通り抜け、着替えるため更衣室に入る。
そこではおかみさんと優紀が、最近バイトを始めたasuさんと楽しそうに話をしていた。
二人は手元のビニール袋を覗き込みながら嬉しそうに笑っている。
「あ、つくしちゃん、お疲れ様!
よかったら、これ、持ってかない?」
asuさんが差し出したビニール袋からは、白くみずみずしい大根が顔を出している。
その他にも、ネギや人参、水菜や椎茸など、旬の野菜がいくつも入っていた。
「え?いいんですか?」
「いいの!いいの!持ってって!
うちの息子が学校の部活で野菜作っててね。
いっぱい採れたから、おかみさんと優紀ちゃんにおすそ分けしてたとこなの。」
「バイオ部なんだって。すごいよね、こんなに立派な野菜が作れるなんて。」
「ほんとにねぇ…採れたての野菜なんて、この辺じゃなかなか手に入らないもの。」
おかみさんはうふふと笑いながら、今晩のおかずを考えている。
優紀も、この野菜を使って、彼氏に手料理を振る舞うつもりらしい。
そんな姿を微笑ましく思いながら、あたしは不思議な既視感を覚えた。
―そういえば、夏にもこんなことあったな。
少年の真っ直ぐな瞳。
健康的に日焼けした肌。
運動部じゃないのに日焼け…って、あれ?
あの少年も、確か…
「それじゃ、あがりますね!お先に失礼しま~す!」
「野菜、ありがとうね。お疲れ様、気を付けて。
さぁさぁ!二人とも!そろそろ仕事してちょうだい!」
「ほら!つくしも早く着替えて、お店出るよ!」
優紀の声にハッと我に返る。
その時にはもうasuさんの姿はなく、野菜のお礼を言うのを忘れてしまった。
「そっかぁ…パンダ君はasuさんの息子さんの友達だったんだ」
忙しなく着替えながら独り言ちる。
あの夏の日の思い出。
金魚とトマトと…少年の気持ち。
キラキラ輝く赤と、淀みなく澄んだ心。
甘くて可愛くて、ちょっと眩しいそれらを思い出し、自然と口元が綻ぶ。
―また来てくれるといいな。
店のショーケースを覗き込み、冬限定の生菓子の雪うさぎをちょんと突いた。
ここを通るのはすごく久しぶりだった。
あの激動の2日間を思えばしょうがないよね。
しかもさ、よりによって母さんがここで働きだすなんて誰が想像する?!
でもさ、たった2日間の恋だったけど、俺にとっては大事な思い出なんだ。時々無性にあの笑顔が見たくなるんだ。
この時間なら母さんはいないはず…そんな思いが俺を突き動かし、和菓子屋へと足を向けた。
けど…。
やっぱり鉢合わせになったら嫌だな…なんて思いが俺の中で渦巻いてて…。
俺は恐る恐るみつからないように中を覗いてみた。
あっ!
つくしさんだ!!
彼女がいたのを確認した俺は即座に頭を引っ込めて壁に凭れた。
心臓はバクバクと大きな音をたてている。
ドキドキしながらもう一度中を覗こうとした時、俺の前にゆらりと黒い影が広がった。
「よっ、少年。まだ諦めてなかったのか?」
「あんた諦め悪いね」
くっ、黒髪に…ピーマン!?
なんで?!
2人の向こうには今にも飛びかからんばかりのクルクルと、それを押さえるウェーブまでいる。
ど、どうしよう…。
そう思ってたのに黒髪は俺にウィンクをすると腕を掴み、有無を言わさずに店の中へと入って行く。後ろには俺を睨むピーマンと、目をつり上げたクルクルと呆れ顔のウェーブが着いてくる。
「あっ、あれ??パッ…パンダくん?!
ちょっとなんであんたたちと一緒なのよっ?!」
「牧野っ!まさか俺に隠れてコソコソこいつと会ってたんじゃねぇだろうな?!」
「そ、そんな訳ないでしょ!」
「2人共大きな声出すなって…」
ウェーブがしかめっ面でそう言うと、黒髪も声に出さずにうんうんと頷いている。
クルクルっていつも怒ってない?
それよりも何よりも!!
俺…この状況をどう乗り切ればいい訳??
そう思っていた時、まさに渡りに舟!
カラリと音がして入口の扉が開いたんだ。
うん、条件反射でもちろん見たよ。
助かったって思ったよ、本気で…。
でもさ、もしかしたら見ない方が幸せだったのかもしれない。
「つくしちゃーん、ごめんごめん、忘れ物しちゃった~。って、あっ、お客様?!」
忘れ物をして戻った店に、お客さんが沢山いた。
あら大繁盛ね…なんて呑気に思っていたら、モデルさん? と思ってしまうような男前が4人揃っている。
途端に体に緊張が走り見惚れてしまうが、その中に見慣れた顔が混じっているのに気が付いた。
「えっ??」
「…っ!!」
向こうも私に気付き、気まずそうに顔を背ける。
…なんでパンダがここにいるの?
よく見るとパンダの腕は黒髪の青年に捕まれている。
…?
これが友達同士のじゃれ合いなら私がとやかく言う場面でもないが、植物が好きでバイオ部に所属しているパンダの友達にしては、垢抜けし過ぎている。
どういう関係? 私が不審な目を向けると、慌てた様子でつくしちゃんが間に入った。
「あ、この人達はあたしの友達で…」
「つくしちゃんの? ならパンダは?」
「ああ、夏に美味しいお野菜を沢山もらって…って、パンダ?!」
「え? 野菜??」
そこでみんなの視線が一斉にパンダに向けられ、顔を真っ赤にして俯いてしまう。
…夏にって。
野菜を持って帰ってきた…あの日?
…そう。
…そういう事だったのね。
全てを分かってしまった私は改めてつくしちゃんにパンダを紹介した。
「つくしちゃん、この子は私の息子なのよ」
「え? え…?」
「ほら、さっき話したでしょ? バイオ部にいるって」
「えええ?! そうなんですか? てっきりパンダ君とは同じ部活の友達なんだと思ってました」
「なんでそこで本人に結びつかず友達なんだ?」
「その鈍さが牧野なんだろ」
友達だと紹介された黒髪とウェーブの青年が呆れ顔で呟いていた。
つくしちゃんはそんな2人を無視し、パンダに笑顔で礼を言う。
「美味しい野菜ありがとう。今日もお母さんからもお裾分けして貰ったんだよ」
パンダは「い、いいえ」と言いながら、嬉しいのと恥ずかしいのが混ざった笑顔で笑った。
「こら牧野。そんな嬉しそうに笑顔を振りまくなっ」
目付きの悪いクルクル髪の青年が怒った様に声を出した。
「「ありがとう」ってお礼を言っただけでしょっ」
「誤解を招くような態度を取るなって話だ。だいたいさっきの友達発言は何だ。俺は違うだろっ」
「しょうがないでしょ。つい省略しちゃっただけよ」
「するなっ!」
会話から部外者の私にも2人の関係が分かってしまう。
友達の3人は、そんな2人をニヤニヤしながら黙って見ている所を見ると、この会話も日常茶飯事だと想像できる。
ただあの中に入ってしまっているパンダは1人オロオロしていて、ちょっと可哀想だ。
ここは母親として何かしてあげたい気分になり、声を掛けた。
「パンダ。つくしちゃんはお野菜を気に入ってくれたみたいだし、また収穫して届けたら?」
「…っ!」
「…え? いいの? パンダ君?!」
つくしちゃんはクルクル髪の彼氏との会話を止めて、真っ先にパンダに向き直った。
「あ、うん。食べてもらえると作った俺達も野菜も喜ぶから」
パンダが嬉しそうに受け応えをしている姿を見て、わたしはどこかくすぐったい様な感情になり微笑んだ。
「喜ぶか…。なかなか良い事言うなぁ」
「ピーマン以外ね」
「お前はピーマン以外にも沢山あるだろうがっ」
友達3人の会話の後、クルクル髪はまたつくしちゃんに向かって話し出した。
「だからそういう態度が誤解を招くって言ってんだよっ」
「あんたの考え過ぎよっ。野菜を貰うだけでしょうがっ!」
再び始まった2人の会話だが、今度はオロオロせずパンダも笑って見ていた。
また一つ成長したみたいだ。
イケメンも素敵だけど、やっぱり母親だもの。
息子の笑顔が一番見たいものよね…。
その胸にある大事な気持ちがキチンと昇華できるように見守るわ。
パンダ。
fin
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