無花果の花はうちに咲く ~交差~ 類つく
だから……
静に恋する自分が好きだった。静に恋をしていれば、ドロドロとした感情とは無縁でいられた。
なぜって?
あんなにも静に恋い焦がれていた筈なのに、静に対する思いには、欲も熱も絶望も存在しなかった、あるのは崇拝にも似た憧憬だったからだ。
俺が恋だと思っていたのは、恋じゃなかった。本気の恋はたまらなく熱いんだ。熱は、全てを変えていく。……だから、心に熱を持つのが怖かった。ソレはきっと、俺の殻を壊し素を曝け出してしまう。
彼女の真っ直ぐな眼差しは熱そのものだった。真っ直ぐに心を恋をしていたのに関わらず、臆病な俺は、恋する心を押し込めた。
愚かだと気がついたのは、押し込めた気持ちはが溢れだし、歪で邪なものに変わった後だった。
彼女を愛しているんだと気がついた後も、バカな俺は彼女を傷つけることを……止められなかった。それだけが彼女を繋ぎ止めるものだと疑わなかった。
もっと優しく、愛を奏でれば良かった。
もっと真っ直ぐに、彼女を欲すれば良かった。
いや、違う。
ただ、しっかりと彼女に向き合えば良かっただけだ。不器用に愛したとしても彼女は全てをうけいれてくれただろう。何も恐れる必要などなかったんだ。
好きだ。愛してる。側にいてくれと言えば良かったんだ。
でも、言えなかった。
死ぬほどに後悔した。だから、今度会えたら素直になろうって決めていたんだ。
「……専務、花沢専務」
「あっ、なに?」
「なにって……ふぅっ」
彼女は、長い長い溜め息を一つ吐いたあと
「午後からのご予定をお伝えしていたのですが、もしかして、もしかして……何も聞いてなかったなんて事は、ございませんよね?」
ボルドー色の唇の端をほんの少し上がらせながら、彼女の大きな瞳が俺を見る。
「花沢専務ともあろう方が、まさかですよね」
「あっ、いや、その……牧野さんがつけてる口紅、どこのかなって」
彼女は、コホンッと一つ咳払いをしたあと
「私の口紅と花沢専務の業務と何のご関係が?」
彼女は、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せながら俺を見る。
この
「……コッホ、コッホン」
わざとらしい咳払いを二つして
「しっかり仕事をして頂きませんと、給料泥棒とお呼びしなければなりませんが」
「そ、そ、そうかな?」
「えぇ、専務には花沢の模範社員になって頂きませんと」
「模範社員ならさ、きちんと休む。なんてことも必要じゃないかな?」
「えぇ、確かに、きちんと休む。とても重要ですね」
「うんうん。そうだろ」
「では先ずは、きちんと働くから実践して参りましょう」
持っていたタブレットのカバーをパタンと閉じながら、美しく微笑んだ。
十年……どうやら、会えなかった日々は、彼女を強く逞しく変えていたようだ。
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