baroque 89
つくしが目覚めた時には、薫は席を立っていた。
懐かしい香りを感じた気がしてつくしは鼻を蠢かす。
「……そんなわけないか……」
一人呟いてから、薫と二人で過ごした日々を思い出す。
恋というには、あまりにも幼い恋心だった。
だからこそ、つくしは、一直線に恋をした。
時折訪れる薫と過ごす時間は、つくしにとって幸せで幸せでたまらないものだった。
初めは憧れにしか過ぎなかった。憧れが恋心に変化していったのは、薫の持つ弱さを垣間見た時だった。
膝を抱えて蹲っていた薫を見た時、つくしは、幼いながらも “側にいて守りたい” と心の底から思ったのだ。
つくしは薫の背中に自分の背中をくっつけ座った。薫の背中が一瞬ビクンッと動いたのを感じたが、つくしは何も言わずに、持っていたリリアンを黙々と編み続けた。
七色のリリアンを「はい」とつくしが手渡せば、薫は少しハニカミながら白い歯を零して嬉しそうに微笑んでくれた。
薫のその笑顔が見たくて、レインボー鉛筆だったり匂い付きの消しゴムだったりと言った、つくしにとって、その時一番の宝物をよくプレゼントした。
嬉しそうに笑う薫を見る度に、もっともっと笑顔をみたいと願った。
つくしの全ての原動力は、薫への恋心だった。今までサボっていた習い事や勉強を頑張りだしたのも、薫に少しでも相応しくなりたい。その一心だった。
「好きだ」
そう告げられた時は、夢を見ているのかと頬を抓った。痛さが感じられずに、もう一度抓ろうと力を入れようとした瞬間……薫の指が慌てたように、つくしの指を止めた。
薫は、つくしの指をそのまま己の口元に持っていき、触れるか触れないかほどの口づけを落とし
「つくしが好きだ。僕と付き合ってほしい」
もう一度、口にしてくれた。
つくしは、消え入るような声で「はい」と小さく頷いた。
初めての口づけは、付き合いを決めたちょうど三ヶ月後だった。新谷の帰り道、日本酒に酔ったのか、いつもよりほんの少し饒舌な薫と二人で鴨川のほとりを歩いた。
桜の花びらがヒラリヒラリと舞っていた。つくしは手を伸ばし、花びらを掴んだ。
「つくし」
自分の名を呼ぶ優しい声に足を止め、見上げれば、薫の匂いに抱きしめられた。次の瞬間、唇と唇が触れた。
蕩けてしまうほどに幸せだった。
口づけに慣れた頃、薫の正式な帰国が決まった。大学時代のように気楽に過ごす部屋を持ちたいという理由で宝珠の屋敷ではなく薫は一人暮らしを始めた。その部屋で、行きたい大学を英徳に絞ったつくしの勉強を見てくれた。つくしは足繁く薫の元に通った。
「推薦貰えそうなんだよね?」
「うーーん 成績的には、そうなんだけど、まだ雪乃さん達に言ってないから…… 学校にも言えなくて……推薦に間に合わないかもしれない。それに……」
「それに?」
「どうしても反対されたら国立に行こうかなって思ってるの」
「国立?」
「うん。国立なら授業料も安いし、パパに貰った貯金もあるから、バイトの掛け持ちすれば何とかなるかなって」
その返答に、薫は
「推薦入試に間に合うように、お祖母様を説得するから大丈夫だよ。
それより……バイトの掛け持ちって?」
そう聞いてきた。
「大学生になったら出来るかなーって
社会勉強にもなるし」
「つくしが学びたいものの為に英徳に行きたいと言うなら、僕は幾らでも力を貸すよ。
でもね、生活のためにバイトをすると言うなら、応援は出来ないかな」
いつになく真剣な眼差しで反論された。
「だけど……」
「つくしが英徳に行きたいのは、受けたい専攻があるからだよね?」
「……うん」
「だったら英徳に行く事だけに専念しよう?
それに……」
「それに?」
「本音を言うと、ただでさえ京都と東京で離れるのに、つくしがバイトの掛け持ちしたらあんまり会えなくなるから、淋しいかなって」
戯けるようにコテンっと薫が首を傾げ、つくしを見つめた。
つくしは、その日初めて己自ら手を伸ばし、薫にキスをした。
薫の抑えていた理性が弾け飛び、つくしを荒々しいほどに強く抱きしめた。
二人は見つめ合い、もう一度熱い口づけを交わし一つになった。
幸せで、幸せで、言葉にならない程幸せだった。
幸せであればあるほどに、筒井の中で時折感じる “由那” の存在に恐怖した。
それでも……薫は、薫だけは、つくし自身を見て愛してくれている筈だと思っていた。
なのに……つくしの希望は、最愛の人に粉々に打ち砕かれた。
哀しみの中
運命を、薫を、憎むことを覚えた。
憎んで 憎んで 憎んで 憎んで 憎んで……
この場から居なくなりたくて……自由を求めた。
懐かしい香りを感じた気がしてつくしは鼻を蠢かす。
「……そんなわけないか……」
一人呟いてから、薫と二人で過ごした日々を思い出す。
恋というには、あまりにも幼い恋心だった。
だからこそ、つくしは、一直線に恋をした。
時折訪れる薫と過ごす時間は、つくしにとって幸せで幸せでたまらないものだった。
初めは憧れにしか過ぎなかった。憧れが恋心に変化していったのは、薫の持つ弱さを垣間見た時だった。
膝を抱えて蹲っていた薫を見た時、つくしは、幼いながらも “側にいて守りたい” と心の底から思ったのだ。
つくしは薫の背中に自分の背中をくっつけ座った。薫の背中が一瞬ビクンッと動いたのを感じたが、つくしは何も言わずに、持っていたリリアンを黙々と編み続けた。
七色のリリアンを「はい」とつくしが手渡せば、薫は少しハニカミながら白い歯を零して嬉しそうに微笑んでくれた。
薫のその笑顔が見たくて、レインボー鉛筆だったり匂い付きの消しゴムだったりと言った、つくしにとって、その時一番の宝物をよくプレゼントした。
嬉しそうに笑う薫を見る度に、もっともっと笑顔をみたいと願った。
つくしの全ての原動力は、薫への恋心だった。今までサボっていた習い事や勉強を頑張りだしたのも、薫に少しでも相応しくなりたい。その一心だった。
「好きだ」
そう告げられた時は、夢を見ているのかと頬を抓った。痛さが感じられずに、もう一度抓ろうと力を入れようとした瞬間……薫の指が慌てたように、つくしの指を止めた。
薫は、つくしの指をそのまま己の口元に持っていき、触れるか触れないかほどの口づけを落とし
「つくしが好きだ。僕と付き合ってほしい」
もう一度、口にしてくれた。
つくしは、消え入るような声で「はい」と小さく頷いた。
初めての口づけは、付き合いを決めたちょうど三ヶ月後だった。新谷の帰り道、日本酒に酔ったのか、いつもよりほんの少し饒舌な薫と二人で鴨川のほとりを歩いた。
桜の花びらがヒラリヒラリと舞っていた。つくしは手を伸ばし、花びらを掴んだ。
「つくし」
自分の名を呼ぶ優しい声に足を止め、見上げれば、薫の匂いに抱きしめられた。次の瞬間、唇と唇が触れた。
蕩けてしまうほどに幸せだった。
口づけに慣れた頃、薫の正式な帰国が決まった。大学時代のように気楽に過ごす部屋を持ちたいという理由で宝珠の屋敷ではなく薫は一人暮らしを始めた。その部屋で、行きたい大学を英徳に絞ったつくしの勉強を見てくれた。つくしは足繁く薫の元に通った。
「推薦貰えそうなんだよね?」
「うーーん 成績的には、そうなんだけど、まだ雪乃さん達に言ってないから…… 学校にも言えなくて……推薦に間に合わないかもしれない。それに……」
「それに?」
「どうしても反対されたら国立に行こうかなって思ってるの」
「国立?」
「うん。国立なら授業料も安いし、パパに貰った貯金もあるから、バイトの掛け持ちすれば何とかなるかなって」
その返答に、薫は
「推薦入試に間に合うように、お祖母様を説得するから大丈夫だよ。
それより……バイトの掛け持ちって?」
そう聞いてきた。
「大学生になったら出来るかなーって
社会勉強にもなるし」
「つくしが学びたいものの為に英徳に行きたいと言うなら、僕は幾らでも力を貸すよ。
でもね、生活のためにバイトをすると言うなら、応援は出来ないかな」
いつになく真剣な眼差しで反論された。
「だけど……」
「つくしが英徳に行きたいのは、受けたい専攻があるからだよね?」
「……うん」
「だったら英徳に行く事だけに専念しよう?
それに……」
「それに?」
「本音を言うと、ただでさえ京都と東京で離れるのに、つくしがバイトの掛け持ちしたらあんまり会えなくなるから、淋しいかなって」
戯けるようにコテンっと薫が首を傾げ、つくしを見つめた。
つくしは、その日初めて己自ら手を伸ばし、薫にキスをした。
薫の抑えていた理性が弾け飛び、つくしを荒々しいほどに強く抱きしめた。
二人は見つめ合い、もう一度熱い口づけを交わし一つになった。
幸せで、幸せで、言葉にならない程幸せだった。
幸せであればあるほどに、筒井の中で時折感じる “由那” の存在に恐怖した。
それでも……薫は、薫だけは、つくし自身を見て愛してくれている筈だと思っていた。
なのに……つくしの希望は、最愛の人に粉々に打ち砕かれた。
哀しみの中
運命を、薫を、憎むことを覚えた。
憎んで 憎んで 憎んで 憎んで 憎んで……
この場から居なくなりたくて……自由を求めた。
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