baroque 91
薄茶の花びらを手のひらに乗せ見つめる。
「……どんなにしても、戻らないもの……か……」
ポツリと呟いてから窓を開け、手のひらの上の花びらを風に乗せた。
風に乗った小さな花びらの行方は、直ぐに分からなくなった。それでも長い間、つくしは窓の外を見続けた。
ドアがノックされ
「亜矢様がお見えになられました」
黒崎の声がして我に返った。
「あっ はい いま」
風に吹かれて乱れた髪を整えるために鏡を覗けば、酷く疲れた顔の自分に出会ってつくしは愕然とした。
恋は、楽しくて幸せな筈なのに……つくしは、ゆっくりと首をひと振りしたあと、少しでも顔色が良く見えるようにと口紅を引いた。
ニコニコと嬉しそうに微笑む雪乃と亜矢の前に腰掛ける。テーブルの上には、つくしの好きなお菓子ばかりが並んでいる。
お茶を飲みながら、つくしの日々の出来事愉しげに聞いてくれる。この邸に初めて訪れたあの日から、つくしにとって至極当たり前の風景だ。
それを思い出した瞬間……つくしの双眼から涙が溢れた。滲んだ瞳から二人の心配げな顔が見えて、笑おうと思うのに、ぽたり、ぽたりと涙が溢れて止まらない。
「つくしちゃん……」
雪乃の声がして、つくしを抱きしめる。何も言わず、ただただ抱きしめてくれた。優しい温もりに抱かれて、今なら怖くて聞っけなかった問いかけが出来る気がすると、つくしは思った。
「雪乃さん、雪乃さんは、あたしがあたしでも……愛してくれますか?」
今までの全てを疑う酷い問いだと分かっている。それでも今聞かなければ二度と聞けない気がして、つくしは聞いた。
今にも泣きそうな顔をして、雪乃は微笑み
「……私は、貴女にそんな風に思わせてしまっていたのね。
ねぇ、つくしちゃん 少し長い話しを聞いて貰えるしら?」
そう問うた。
つくしは、コクンと一つ頷いた。
「先ず何から話したらいいのかしら……
そうねぇ、私が貴女に会いたいと思ったきっかけからかしらね」
「きっかけ?」
「えぇそう、きっかけ。
つくしちゃん、私が貴女に会いたいと思ったのは、栄の萩に行くかの問いかけに、薫が子供のように笑ったからなのよ。目を疑ったわ。見間違いなんじゃないかって。
直ぐに私も一緒に萩に行くって決めたのよ。
萩に行って、貴女に会った瞬間。由那が私のもとに帰ってきたのかと錯覚したわ。それくらい貴女と由那は似ていたの。
貴女の側にいると、醜い感情を持つ前の自分に戻ることが出来た」
「醜い……感情?」
「えぇ とってもとっても醜い感情。
由那がお腹に出来た時ね、私の身体が丈夫じゃないからとみんなに産むのを反対されたの。特に栄は猛反対だったわ。『雪乃に何かあったら俺はお腹の子を許せない。頼むおろしてくれ』と懇願されたくらい。
それまで私の存在は、旧華族の血と、栄の持つ財力。この二つの結び付きのためだけの政略結婚の道具だと思っていたから驚いたわ。よくよく聞いてみれば、栄は私が好きで好きで、没落しかけていた私の実家に援助を申し込んだって言うの。父や母は、お金のために大切な娘はあげれないって、最初猛反対したんですって。それでも説得に説得を重ねて、許しを貰ったんですって。それを聞いて嬉しかった。あぁ、この人の子供が産みたいって心の底から思ったの。余計に、お腹の中の子が愛おしくなったわ。
離縁を盾に由那を産むことを許してもらったの。
お腹の赤ちゃんと愛する夫。私は同時に手に入れた。幸せだと心の底から感じたわ。
由那は、私の全てだった。愛おしくて、愛おしくてたまらなかった。あの子の母でいる自分が誇らしかったし、あの子のためになら、自分の命だってなんだって惜しくなかった。
情熱的な恋をして、幸せな結婚をした。伊織さんと由那は、本当にお似合いの二人だったのよ。薫が生まれて、筒井も宝珠も幸せに包まれたわ。
それを……薫は、私から奪ったの。
事故から直ぐは、由那が最後まで守った命を、この世に止めるだけに精一杯でそんな事考えもしなかった。薫がいたから、私達は生きていられたし、狂わずにいられた。
でも……由那が亡くなってに年が過ぎた頃かしら、ふと考えてしまったの。もしも……薫がいなければ、由那は生きていたかもしれないって。
ううん、薫さえいなければ、私は由那の後を追えた。それが出来なくても狂う事が出来たって。
誰かを憎むことは、とても醜いのにとても甘美だった。
だから薫は、親を殺した自分は誰も愛しちゃいけないし、幸せになっちゃいけないって思い込んでしまったわ。
そんなことを思わせたいわけじゃなかったのに、私は自分だけが楽になりたくて、あの子を愛しながらも憎んだの。
荻でつくしちゃんと笑い合う薫を見て、思い出したの。
薫のこの笑顔……由那が大好きだったなって。
その笑顔を見て、薫をただただ可愛いと思えたの。
貴女といると、由那がいた時みたいに心が満たされて、憎しみが薄れていった。
貴女に会えば会うほど幸せを感じて、好きになった。貴女を手許に置いて育てたいと願ってしまったの。
筒井の頼みでは断れないことを知りながら、牧野のご両親に頼み込んだわ。千恵子さんは最後の最後まで首を縦に振らなかった。それはそうようね。大切な大切な娘のことなんですもの。
それでも了承してくださったのは、つくしちゃんが白泉にトップで合格したこと。それまでの貴女の頑張りを見ていた千恵子さんが、その結果を不意には出来ないと思ってくれたの。
千恵子さんはね、貴方の未来を縛らないで欲しい。萩に帰りたいと言い出したら、すぐにでも帰して欲しい。そうおっしゃったわ。
だから怖かった……貴女がいつ萩に戻りたいと言い出すのかと。
萩を思い出すようなものは、貴女の元から全て排除したわ。
貴女を失いたくなかった。
貴女が白泉の生徒会長に選ばれた時ね、もう萩には戻らないって、確信できて嬉しかったの」
「由那さんと……一緒だから、嬉しかったんじゃないんですか?」
平然を装いながらも、声を震わせつくしは聞いた。
「……どんなにしても、戻らないもの……か……」
ポツリと呟いてから窓を開け、手のひらの上の花びらを風に乗せた。
風に乗った小さな花びらの行方は、直ぐに分からなくなった。それでも長い間、つくしは窓の外を見続けた。
ドアがノックされ
「亜矢様がお見えになられました」
黒崎の声がして我に返った。
「あっ はい いま」
風に吹かれて乱れた髪を整えるために鏡を覗けば、酷く疲れた顔の自分に出会ってつくしは愕然とした。
恋は、楽しくて幸せな筈なのに……つくしは、ゆっくりと首をひと振りしたあと、少しでも顔色が良く見えるようにと口紅を引いた。
ニコニコと嬉しそうに微笑む雪乃と亜矢の前に腰掛ける。テーブルの上には、つくしの好きなお菓子ばかりが並んでいる。
お茶を飲みながら、つくしの日々の出来事愉しげに聞いてくれる。この邸に初めて訪れたあの日から、つくしにとって至極当たり前の風景だ。
それを思い出した瞬間……つくしの双眼から涙が溢れた。滲んだ瞳から二人の心配げな顔が見えて、笑おうと思うのに、ぽたり、ぽたりと涙が溢れて止まらない。
「つくしちゃん……」
雪乃の声がして、つくしを抱きしめる。何も言わず、ただただ抱きしめてくれた。優しい温もりに抱かれて、今なら怖くて聞っけなかった問いかけが出来る気がすると、つくしは思った。
「雪乃さん、雪乃さんは、あたしがあたしでも……愛してくれますか?」
今までの全てを疑う酷い問いだと分かっている。それでも今聞かなければ二度と聞けない気がして、つくしは聞いた。
今にも泣きそうな顔をして、雪乃は微笑み
「……私は、貴女にそんな風に思わせてしまっていたのね。
ねぇ、つくしちゃん 少し長い話しを聞いて貰えるしら?」
そう問うた。
つくしは、コクンと一つ頷いた。
「先ず何から話したらいいのかしら……
そうねぇ、私が貴女に会いたいと思ったきっかけからかしらね」
「きっかけ?」
「えぇそう、きっかけ。
つくしちゃん、私が貴女に会いたいと思ったのは、栄の萩に行くかの問いかけに、薫が子供のように笑ったからなのよ。目を疑ったわ。見間違いなんじゃないかって。
直ぐに私も一緒に萩に行くって決めたのよ。
萩に行って、貴女に会った瞬間。由那が私のもとに帰ってきたのかと錯覚したわ。それくらい貴女と由那は似ていたの。
貴女の側にいると、醜い感情を持つ前の自分に戻ることが出来た」
「醜い……感情?」
「えぇ とってもとっても醜い感情。
由那がお腹に出来た時ね、私の身体が丈夫じゃないからとみんなに産むのを反対されたの。特に栄は猛反対だったわ。『雪乃に何かあったら俺はお腹の子を許せない。頼むおろしてくれ』と懇願されたくらい。
それまで私の存在は、旧華族の血と、栄の持つ財力。この二つの結び付きのためだけの政略結婚の道具だと思っていたから驚いたわ。よくよく聞いてみれば、栄は私が好きで好きで、没落しかけていた私の実家に援助を申し込んだって言うの。父や母は、お金のために大切な娘はあげれないって、最初猛反対したんですって。それでも説得に説得を重ねて、許しを貰ったんですって。それを聞いて嬉しかった。あぁ、この人の子供が産みたいって心の底から思ったの。余計に、お腹の中の子が愛おしくなったわ。
離縁を盾に由那を産むことを許してもらったの。
お腹の赤ちゃんと愛する夫。私は同時に手に入れた。幸せだと心の底から感じたわ。
由那は、私の全てだった。愛おしくて、愛おしくてたまらなかった。あの子の母でいる自分が誇らしかったし、あの子のためになら、自分の命だってなんだって惜しくなかった。
情熱的な恋をして、幸せな結婚をした。伊織さんと由那は、本当にお似合いの二人だったのよ。薫が生まれて、筒井も宝珠も幸せに包まれたわ。
それを……薫は、私から奪ったの。
事故から直ぐは、由那が最後まで守った命を、この世に止めるだけに精一杯でそんな事考えもしなかった。薫がいたから、私達は生きていられたし、狂わずにいられた。
でも……由那が亡くなってに年が過ぎた頃かしら、ふと考えてしまったの。もしも……薫がいなければ、由那は生きていたかもしれないって。
ううん、薫さえいなければ、私は由那の後を追えた。それが出来なくても狂う事が出来たって。
誰かを憎むことは、とても醜いのにとても甘美だった。
だから薫は、親を殺した自分は誰も愛しちゃいけないし、幸せになっちゃいけないって思い込んでしまったわ。
そんなことを思わせたいわけじゃなかったのに、私は自分だけが楽になりたくて、あの子を愛しながらも憎んだの。
荻でつくしちゃんと笑い合う薫を見て、思い出したの。
薫のこの笑顔……由那が大好きだったなって。
その笑顔を見て、薫をただただ可愛いと思えたの。
貴女といると、由那がいた時みたいに心が満たされて、憎しみが薄れていった。
貴女に会えば会うほど幸せを感じて、好きになった。貴女を手許に置いて育てたいと願ってしまったの。
筒井の頼みでは断れないことを知りながら、牧野のご両親に頼み込んだわ。千恵子さんは最後の最後まで首を縦に振らなかった。それはそうようね。大切な大切な娘のことなんですもの。
それでも了承してくださったのは、つくしちゃんが白泉にトップで合格したこと。それまでの貴女の頑張りを見ていた千恵子さんが、その結果を不意には出来ないと思ってくれたの。
千恵子さんはね、貴方の未来を縛らないで欲しい。萩に帰りたいと言い出したら、すぐにでも帰して欲しい。そうおっしゃったわ。
だから怖かった……貴女がいつ萩に戻りたいと言い出すのかと。
萩を思い出すようなものは、貴女の元から全て排除したわ。
貴女を失いたくなかった。
貴女が白泉の生徒会長に選ばれた時ね、もう萩には戻らないって、確信できて嬉しかったの」
「由那さんと……一緒だから、嬉しかったんじゃないんですか?」
平然を装いながらも、声を震わせつくしは聞いた。
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