まだ気づかない13 類つく
類は牧野を抱きしめる。牧野の匂いが類の欲をくすぐる。顎先を持ち上げ唇を合わせようとした瞬間……雪之丞の顔がよぎった。
類は牧野をもう一度抱きしめてから
「ねぇ牧野、ちょっと一緒に着いてきて欲しい所があるんだけどいいかな?」
そう声をかけた。
1時間後……
「専務 これって、プライベートジェットとかいうんじゃないですか」
「快適でしょ。司が貸してくれて、ラッキーだったよね」
「ラッキーって、一体どこに行こ「あっ、牧野、そんな事より、窓の外見てみなよ」……って、専務、虹が丸い。そ、それにダ、ダブル」
「うん。ダブルレインボーになってるね。ダブルレインボーは、幸運の象徴なんだっけ?」
類の言葉にコクンコクンと牧野は頷き
「はい牧野。コレすごく美味しいよ」
そう言って手渡されたグラスの中身を飲み干した。
「おっ いい飲みっぷり。
はい。もう一杯」
牧野は、高揚感と喉の渇きにつられて、2杯3杯とグラスをあける。6杯目をグラスに注がれた時には……夢の中に旅立っていた。
眠る牧野をベッドに運んだ類は、愛おしそうに彼女の頬をひと撫でした後
「おやすみ」
そう声をかけてから、自分は仕事に戻った。
「うっ 頭イタっ」
よく眠った筈なのに……この頭の痛さはナニ?
いやっ、あたし、どっか悪い?
今日って大事な会議なかったよね?そこまで考えてから辺りを見回せば、
「っん?」
脳みその情報処理が追い付かずにもう一度目を閉じた。
「ふぅっーーーー」
小さく長い息を一つ吐いてから、もう一度目を開けた。
「……夢じゃ、ない」
瞬間……
朝からの出来事がブワッーーーと押し寄せて来た。
あまりにも色々な事があり過ぎて、起きた事柄を反芻する事が今の今まで出来なかった。
でも……二日酔いの頭の痛さが逆に、熱病にかかったようにぼんやりしていた思考をシャキッとさせていた。
「……やっちゃった」
気がつかないように、自分の心に蓋をして蓋をしていた筈なのに……
「同じ人に、また、恋するなんて」
類が聞いたら、飛び上がって喜びそうなことをポツリと呟いた。
雨に濡れたあの日……初恋は儚く散った。いや……恋をしていたことさえ最初は気づかなかった。ただただ惨めで悲しかった。
アレが初恋だと気付いたのは、17才の誕生日にあったバイト仲間との忘年会での席だった。どういう流れだったか、皆んなと初恋の思い出話になった。
初恋の思い出と聞かれた牧野の口からスルリと出たのは、
「受験と寝坊と膝小僧」
意味不明だと皆は笑った。
でも……最初、牧野は上手に笑えなかった。その時初めてアレが初恋だったと気がついたから。
美形で金持ちでモテる男にのぼせ上がっただけなのだと自嘲した。
いや違う……初めて会ったあの日彼の側にいる事があまりにも心地良くて、なんだかどうでもいいことまで沢山沢山話していたんだ。
彼が
「…もう一度、試験受けさせて貰うようにしてあげようか?」
そんな事を聞いてきた時、一瞬、そうしたらこの人と一緒に居れる?と頭を過った。マジマジと彼を見た瞬間……逆光の中にいた彼の顔がしっかりと見えた。あまりの美形さに驚きながら
「いい、いい。よく考えたら、ママが見栄はるのに受けさせたかっただけだからさ、お金も勿体無いし、都立に行く」
立ち上がり、パンッパンッとスカートを二つ叩いてから、
「じゃっ」
と慌てて、その場を去った。
難関校に無事合格を果たし、新生活に慣れた頃、唐突に彼に会いたいと思った。
彼と会えるかどうかなんてわからなかった。ましてや、彼とどうにかなりたいだなんて、そんな事を考えて行動したわけじゃない。
強いて言えば、あの日いつも吠えたてるお隣のポチがクゥーンと可愛い声で鳴いたから。なかなか買えなかった特製メロンパンが買うことができたから。下校中に幸せを呼ぶと言うクロッキーを5台立て続けに見たから。
牧野は彼に会いに行った。そして、現実を知った。
一顧だにされなかったのが悲しかったわけじゃない。声すらかける資格がないと感じた事があまりにも惨めだっただけだ。だから蓋をした。その蓋に鍵をかけて上から紐でギュッと縛った。
一生、恋をしないと決めたわけじゃなかったけれど……恋から遠いところで生きてきた。このまま一生結婚しない、いいや、彼氏すら作れないんじゃないかと危惧した牧野は、バイト中に一目惚れした花沢物産に就職して定年まで働く事を目標と掲げた。
恙無くが信条の牧野は、どこの派閥にも属せず、かと言って疎まれず、縁の下の力持ち的な存在になろうと努力してきた。
だが、思わぬ形で『専務派』になってしまった牧野。専務の優秀さに触れる立場になった牧野に1ミリもの後悔は無い。むしろ、次代を担うのが専務ならば、いま以上の発展が望めるだろうとほくそ笑んでいたのだ。
花沢類という男は、簡単に約束を反故することは無い種類の人間だと一緒にいる中で知っていたから、定年までいなよっていう言質はとっておきたいなぁーと、秘かに願ってはいた。
「チャンス到来!って思ちゃったのよね……
それがまさか……だよね」
二日酔いの頭痛で逆に落ち着きを取り戻した牧野の心が、戸惑いをあらわにしている。
そんなことをしってか知らずか……
「牧野、もうじき着陸だからそろそろ起きて」
類がベッドルームのドアを開けたのと
「雪ちゃん……会いたい」
と牧野が叫んだのは、何のイタズラか全く同時だった。
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