愛なんていらないから05 つかつく
うんっ そうだ。小学生のあの夏休み。メモリースポーツ大会を目指して日夜訓練に励んでいたあたしの脳が、コノオトコハ、フクヤマカカリチョウ デハナイ。と言っている。まぁブームはあの夏休みの日々で終わったが、そのお陰でえありしと物覚えはいいはず。第一に福山係長は女性だ。
じゃあ なぜ、あの受付嬢はこの部屋にあたしを通したのだ?
口がへの字になりそうなのを堪えながら、威圧感バリバリの男の顔を覗き見る。なんかどこかで見た顔に……似ている気がする。そう、58454円の男性に似ているんだ。寝顔だけしか覚えがないから確かでは無いけど、美形っぷりが凄くよく似ている。58454円のお兄さんって感じの似方だ。なんでお兄さんかだって? だって目の前のこの人は、とても険しい顔をしているのだ。58454円兄(仮)は、穏やかに微笑みながら眠っていた。とても同一人物には思えない。______いや思いたくない。だってこの男の威圧感ったら半端ない。マジ半端ない。 コノオトコ キケン チカヨルナ って、あたしの直観が告げている。今すぐに回れ右してこの部屋を出ていきたい。いや、『すみません。部屋を間違えました』そう言いながら出て行くべきだ。
うん。そうしよう。すみませんの『す』を言おうと思った瞬間、58454円兄(仮)の斜め横からニュッと腕が出て、ヒィッ、腕が一本多いと真面目にビックリした。どこから現れたのか? いや多分最初から58454円兄(仮)の斜め後ろに侍ってたであろう、べっ甲のフレームの眼鏡をかけた男の腕だった。58454円兄(仮)があまりにもインパクト強くて気が付かなかったよ。『あははっ』と心の中で笑ってみたのだけど、心の中で笑ったはずなのに、なぜか尻すぼみの笑い声になってしまった。
伸びた腕は、見覚えのある二人のイラストが描かれた大皿時計。どこでどう見ようとも趣味が悪い。____ってか?なんでコレがここにある? そう思いながら大皿時計とべっ甲フレームの男性の顔を交互に見た。
「こほんっ」 わざとらしさ満載の咳をべっ甲フレーム眼鏡の男が一つしたあと
「横手物産との話はついておりますので、ご心配なく。申し遅れましたが、私、道明寺コーポレーションの専務秘書をしております沖田と申します」
ご心配ばかりの口上の後、スッと名刺が目の前に差し出された。サラリーマンの習性で姿勢を正して名刺を頂いていた。
って、道明寺コーポレーションって、あの超一流企業と名高い道明寺コーポレーション?
って、この人いま専務秘書って言った?
えっ、じゃあ あの威圧感たっぷりの58454円兄(仮)って……何者?
あたしの心を読むように、58454円兄(仮)が薄く笑い
「道明寺だ。お前、今この時から俺のモノになれ」
「へっ?」
言ってることが意味不明で思わず変な声が出た。 何言ってんだコイツ? この大皿時計並みにお前変だぞ。 思わず怪訝な顔で58454円兄(仮)と大皿時計を交互に見てしまった。
「この大皿知ってんだろ? で、返事は?」
はい。うちの会社の人の結婚式の引き出物。それと“俺のモノ” 発言とどう繋がりが?バカかコイツ。そんな気持ちをオブラートに包んで
「あっ、あの返事はと言われましても_____確かに、この大皿は知っておりますが_____この大皿と今のお話と、どう関係すると仰るんでしょうか? 唐突千万と申しますか___何と申しますか」
「はっ? 何言ってんだ。至極簡単だろう。お前は俺のモノになる。報酬はお前の言い値だ。こんないい話はないだろう。断る場合は_____買春及び名誉棄損で訴える」
「はぁぁい? か、か、か、買春及び名誉棄損で、う、う、訴えるって」
訴状と書かれた用紙に手を伸ばす。58454円兄(仮)もとい道明寺が、あたしの腕を掴み
「いちOLが道明寺財閥を相手にして勝てるか? それよりも俺のモノになれ」
プッチン あたしの堪忍袋の尾が切れた
「はぁっ? さっきから聞いてれば、俺のモノ俺のモノって、あたしはモノではありません。訴えるならどうぞご自由になさってください。それに、あたしはあんたみたいなゲスイ男を買った覚えはない」
啖呵を切って、道明寺の顔を睨みつければ、あろうことか男がゆっくりと倒れ込む。大皿時計の割れる音と共にあたしは悲鳴を上げた。
屈強集団が周りを取り囲み、道明寺とあたしに怪我がないかの確認と共に部屋が片付けられ、ソファーの上に道明寺が寝せられた。あっ、あたし? 腕が道明寺に掴まれ、どうやっても離れなかった。いや、一瞬、一瞬は屈強集団の一人が剥がしてくれたんだよ。なのに、剥がしたと思ったらくっ付いてくるんだ。
怒り→困惑→諦め→怒り→困惑→諦めを 何度か繰り返したあたしは、日が暮れたあと灯りの消えたロビーを屈強チームに担がられるように連れられてリムジンに乗せられて、大きな門をくぐりホテルのロビーのような豪奢な玄関ホールから、なんだか嫌味なくらいセンスの良い部屋に通された。
なんでかって?
一番の理由は、道明寺があたしを離さないからだったんだけど、道明寺が倒れてから、ひっきりなしにあたしに謝罪を述べつつ、道明寺各関係者に電話対応している秘書沖田の背中に哀愁を感じてしまったから。
まぁ仕方ない起きるまで付き合うかと腹を括ったら、腕の力が少し抜けた。ラッキーとばかりに離れようとするとギュッと掴まれる。コイツ起きてるんじゃないの?と訝ったが、秘書沖田が「あり得ません」とキッパリハッキリ自信ありげに言ったので、信じることにした。
道明寺が寝てる間に秘書沖田となぜか仲良くなってしまった。インテリ感たっぷりの秘書沖田は見た目通りインテリで話しが面白かった。終いには眠る道明寺を横に酒盛りまでしてしまった。芳香豊かな美味しいワインで、気づけばボトルが転がっていた。途中、秘書沖田が訴状を取り下げるのでサインしてくれと言い出した。
取り下げるのにサイン?首を傾げれば、今日のお詫びにメープルのフィットネス会員権一年分をプレゼントしたいと言うのだ。酔っ払ってネジの弛んだあたしの頭は、美味しい話には裏があるという言葉を忘れて、サインしてた。
そればかりか、あろうことに
「沖田さん明日早いんでしょ? なんか一筆書いといてくれれば、お帰りになっていいですよー」
なんて言ってたんだ。
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