刹那 31 総つく

「ふぅっーーー　いい気持ちだ」

宿の名物の露天に入りながら、一声唸る。


俺らの部屋‥俺と親父の部屋は、
普段の、家元なら絶対に泊まらない格下の部屋になるのだろう。

つくしとお袋は、見事貴賓室を引き当てていた。
様子を見に行くと

「総、見て見てーーこのお部屋、露天がこんなに大きいんだよ。
もうさぁ、勿体なくて、大浴場行ってきたのに、こっちの部屋でもはいちゃった」

風呂上がりの上気した肌が妙に艶かしくて‥
俺は、慌てて話をそらした。

「その浴衣どうした？旅館のじゃねぇだろう？」

「うふふっ、美智さんが頼んでおいてくださったの。幹事のご褒美ですって」

どうやら、お袋がいつもの呉服屋に頼んでおいたらしい

「長板中形か‥よく似合ってんな」

木蓮と鴛鴦が描かれている。
藍の染め具合も実に落ち着いているのだ。

わざわざ作らせたのだろう。
だが、藍が落ち着くには、月日が必要だ。
これ、いつから頼んでたのか？　そんな事が気になる。

「家元と、総二郎さんの分もそちらに用意してますから」
そう言ってニッコリと笑う。

４人揃いの浴衣とは、お袋の尻に尻尾が見えた気がする。
お袋が愛おしげに、つくしの髪を整えている。

「ほらっ、動かない」

「はーーい」

２人で目を見合わせて、何が楽しいのかクスクスと笑いあっている。


仲良きことは美しきかな‥‥まさしくそんな事を感じる風景だ。

こんな風景を、想像した事がなかった。
家庭に安らぎを、幸せを求めていいのか？
不意に襲ってきた思い。

つくしとお袋が、俺らの方を振り向いて

「あなた、早く着替えてくださいな」
「総、早く着替えて」


同じ台詞を口にしている。

親父と顔を見合わせ、微笑する。


チリーン　　和やかな鈴の音がする。
幸せにおなり　と言っている。




「家元、美智さん‥会場の方に先に行ってますね」
つくしが、親父らに声をかけている。

二人で揃いの浴衣着て、路地を歩く。　
そっと手を繫ぎ

「してぇ」
耳許で囁く‥

「総‥ふざけない‥」

「ふざけちゃいねぇよ。大真面目だ。つくしちゃんはどうだよ？」
わざと聞けば

頬を紅く染めながら、ギュッと手を握り返してくる。

おっ、お前それ反則だ。目の前の女が可愛くて可愛くて仕方ねぇ。


キスしてぇなぁー　流石にここじゃ怒られるよな。


つくしが耳許で
「総に、キスしてもらいたいなぁ。でも絶対に、ダメだからね」
小さく呟く。

顔を見れば、小悪魔の笑みを浮かべている。


バカめ‥‥　そんな挑発的なことを言ったらどうなるか思い知れ。

唇を掠めとる。

「総‥ダメだって‥」

「あぁ、解ってる、だから今はこれで終いだ」

もう一度だけ、唇を掠めとる。

２人で目を合わせ、共犯者の微笑みを交わす。


「総のお陰で、緊張がとれてきたよ。ありがとう」

「そんなんじゃねぇよ。お前に触れたかっただけだ」

「じゃぁ、一緒だね」

さらりと、悶絶しそうな事を言う。

こと恋愛は、手練手管に長けてる俺が有利な筈だと思ってた。
全然なんだよなーー　俺、全くもって形無しだ。


チリチリチリーン　負けるが勝ちよと鈴が鳴る。





あれ？宴会場にまだ辿りつかない‥‥

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