白線 54

「ハジメマシテ、コンニチハ」
心の中で、yasuの思い人の隼人さんに挨拶を告げてから、
真っ直ぐに目の前の人を見る。

「お会いになりたいですか？」

隼人さんは、言葉を返さない。

ご無礼をお許し下さい。そう前置きをして、
あたしは隼人さんに話しかける。
あたし、花沢社長の事は、これぽっちもいい印象なんて持った事ないんですが‥
と言うよりも、　“性欲処理”　なんて言われて、札束で頬を叩かれた女ですから、
はっきり言って、嫌いです。えぇ大嫌いです。
でも…隼人さんは。嫌いになれないどころか、大好きです。
ウツケモノだと思いますが、大好きなんです。

「なぜ？」
声を絞り出すようにして聞いてくる。

「あたしの大切な人の思い人だからです」
「‥‥そ、れ、は‥‥百合亜が私を許してくれている‥とでも？」
あたしは、首を振る
「許す？許してないですよ‥‥百合亜さん恨みに思ってますよ‥」
目の前の隼人さんは、ガックリと項垂れる。
あたしは、言葉を続ける
「だけど‥‥あなたを、隼人さんを、愛し続けてます」
顔を上げ、あたしを見る
「彼女が、いまでも俺を愛していると？」

あたしは、教えてあげる。
どれだけ隼人さんの事を惚気られたか、
どれだけyasuが、隼人さんの事を愛しているかを。

彼は、「信じられない‥」そう言って黙り込む。

クラッチバックの中から、スマホを取り出す。
再生ボタンを押す。そこに映し出されたのは
酔っぱらって、管を巻いて『隼人大好きー』と、騒ぐyasuの動画。
寝言で『隼人幸せだね』そう言いながら、蕩けそうに笑うyasu。
ピアノを弾きながら、隼人さんの惚気話をするyasu。
あたしは、見せてあげる‥‥

「まだまだありますけど、お見せします？」
あたしは、隼人さんに聞く。

隼人さんの目には、涙が光っている‥

隼人さんは、語ってくれる。yasuとの出会いを
「政略結婚だった」と。出会って1秒で恋をしたと。
彼女と結婚が決まって、幸せで幸せで仕方なかったと‥‥
彼女の全てを愛したと、彼女の紡ぐもの全てを。
それは、それは熱病に浮かれるように‥
「彼女の奏でるピアノの音は、至極の幸せを俺に連れて来た」
同時にとてつもなく嫉妬をしたのだと…彼女の唯一無二がピアノだったことに
類がお腹に宿った時は、幸せだった。
彼女は、ずっと俺の傍らにいてくれたからね。
だから期待してしまったのだと、これから先、自分達だけを見てくれるんじゃないかと。
いや、自分達じゃない‥俺だけを、俺だけを見て欲しかったんだ。
隼人さんは、静かに静かに涙を流す。

そんな時だよ、彼女には、愛する男がいて、そいつと一緒に居たいが為に、演奏に行くんだと聞いたのは‥
そんな筈はない‥頭では解ってた。

だけど‥恋する男は愚かなんだ。
彼女の笑顔が他のものに向けられている。もうそれだけで嫉妬に悶え苦しむんだ。

自我妄執‥正しくその言葉通りに、自分の考えに囚われた‥
そして、彼女に課した。母として妻として生きろと‥

何度も何度も言い争いをした。
彼女が俺の前で笑わなくなったのも、ピアノのせいにした‥

類と二人で笑いながらピアノを弾く彼女を見て‥
「牧野さん、俺はね、自分の息子とピアノに嫉妬したんだよ」
そんな醜い気持ちを認めたくなくて、彼女の全てを否定した
「くだらないピアノなんて、辞めてしまえ」と、

妻としてやるべき事が、あるだろう。
親として、息子に受けさせなければいけない教育があるだろう、そう言い放ったんだよ。

彼女は、体調を崩して寝込んだ。その間に類を人質に取った。
「最愛の我が子を、道具に使ったんだよ」
彼女を俺のものだけにするためのね‥

それが…百合亜を追いつめ、類の心を壊すなんて、気付きもしなかった‥

男としても、親としても、俺は最低な奴だ‥

だけど‥認めたくなかった‥　
認めてしまったら、俺の目の前から彼女が消えたのは、
自分の愚かさが原因だと認めなくちゃいけないからね‥

哀し気に、隼人さんが笑う。



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